最近は古い民家が残る町並みが評価され、観光名所になったりしていますが奥会津の大内宿もその一つでしょう。平清盛の全盛期、後白河天皇の第二皇子である高倉宮は源頼政のすすめで反平家と共に恭兵し、京都宇治川で合戦となりました。この合戦で高倉宮は行方不明。流れ矢にあたって戦死したとも言われていますが伝説によれば宇治川で敗れた宮は、二十人ほどの供を連れ大内に立ち寄り、この里が都の風情に似ている所から、それまで山本村と呼ばれていたものを大内村と改められたと伝えられています。都会の暑苦しさを離れ、時代背景をゆっくりと想い浮かべながら古い民家を散策するのは贅沢な気分になります。