あの言いようのない揺れを忘れることはできない。
あれから今年で7年を迎えようとしています。
当時、私は銀行の中でお施主様と打ち合わせの最中でした。
突然の揺れに話を中断し、急いで車に飛び乗り
大きく波打つ環状7号線をハンドルを取られながらひた走る。
途中、風呂屋の煙突が道路と反対方向に倒れるのが見えました。
不思議に環七には車両の姿はなく、走行している車は私のみ。
会社に着く頃には目黒通りも駒沢通りも規制され、
歩道は家路に急ぐ人で途切れることがありませんでした。
家内の実家では両親が自分の体に変調を来したのかと
夫婦で地面に伏してしまったようです。
その両親はすでに亡く、空き家になってしまった居宅。
地震で被害を受けた風呂の改修とお墓の修繕を行い、
お盆には姉弟縁者で両親を偲ぼうと思っています。