八百屋の娘、お七。
恋こがれた寺小姓吉三逢いたさに
自宅に放火し、鈴ケ森で死刑になった話は有名ですが、
目黒の雅叙園の入り口に何故かお七の井戸があるのは
ご存知でしょうか?
歌碑には次のような事が記されています。
「吉増はお七の死刑後 僧侶となり、名を西運と改め明王院に入り、
目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を
念仏を唱えつつ隔夜一万日の行を成し遂げた。
明王院という寺院は、現在の目黒雅叙園エントランス付近から
庭園にかけ明治13年頃まであった。
この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前に
お七の菩提を念じながら、水垢は離をとったことから
お七の井戸と言い伝えられている。」
以上のことが記されています。
情熱的なお七ですが、身近に相談する人がいれば
放火にまでは至らなかったかもしれませんね。